よい出会い

可視化されない自分たちの世界は、アプリでの出会いが多いんだろう。飲み屋に通ってみたこともあるけれど、地方都市のせいか深いつきあいがしにくい。何より仕事を考えると、深酒ができない。飲み屋はママと馬鹿話をするのは楽しいけれど、他の客との絡みは難しかった。

ただアプリというのは、容姿至上主義のところだ。写真映りがよい方が、圧倒的に有利。どんなに魅力的なプロフィールを書いていようが、容姿で99.99%が決まってしまう。年齢も容姿もセールスポイントにならない自分は、このカーストの下層民でしかない。ただそんな自分も、頑張って実際に会うことができるチャンスがあった。

ところが会ってみても、なんとなく寒々しい。当たり前だ。実際に会ったとき、本当に大切なのは「会話が弾むだけの精神的つながりが生まれるか」だから。自分は趣味や精神構造もピーキーなつくりをしているから、せっかく会えてもしっくり来ずに終わることも多い。アプリで出会ってそのまま幸せになっているカップルは、いったいどうやって意気投合しているんでしょうねえ…。

 

そんな自分だが比較的上手くいっている友人の一人は、ブログ(正確には個人ホームページ)でつながった人である。SNS全盛期のこの時代に個人ホームページなんて激レアだが、読んでみるとその文体や感性に惹かれるものがある。実際に会って話をすると、持っている世界観がとても魅力的な人なのだ。SNSでなく個人ホームページを続けているくらいだからとてもマイペースで、自分の話を一方的にしてこちらの話なんて10のうち1聞いているか分からない人なのだが、それを差し引いても「これからも仲良くしていたい」と思わせる魅力がある。

容姿至上主義がまかり通るこの世界だけれども、文章に蓄積された人柄や精神性で、友人やパートナーとしてつながっていくのもありなんじゃなかろうか。自分も最近、ブロググループに参加させていただいたが、たいへん惹きつけられる文章を書く人がいて、いいなあと思うし、うらやましく思う。

捨てるということ

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この盆は、ひたすら断捨離をして過ごしました。ものを捨てるという行為は、自分にとって大事なものはなにかを見極める行為。ひいては、自分の価値観を確認する行為でもあるんだなあと思います。歳とともに、「ほしいもの」が減ってきました。自分に似合わないもの、自分らしくないものを、分かるようになってきたからかなぁと思います。

自分に必要なもの、大切なもの、お気に入りのものを丁寧に使う。それが最高の贅沢であり、幸せなのだろうと思います。

人間関係も同じかと。どんなに容姿がタイプでも、会話が続かない人、どちらかが無理する人というのは、深入りすべきではないんですよね。容姿は清潔感があれば、それでいいんです。それよりも実際に話してて癒やされる人、波長が合う人、または学びにつながる人。そういう人とつながっていければいい。最近はそう思うようになってきました。

音のある生活

久々にブログを更新します。

書きたい気持ちはあったのですが、4月以降部署替えによって、毎日パソコンに向かいながら脳を酷使する日々。ブログを書く気持ちになれませんでした。

盆はどこにも行かずゆっくりすることを決めて、つかの間の休息をとることができました。旅行をしないので少しだけ財布に余裕ができ、自分の生活環境をメンテナンスすることにしました。ネット環境を見直してADSLからWimaxへ。通信費が上がる分は、固定電話を休止して運用。あと使わない家具を捨てて、部屋を全体的にスッキリさせました。

そして今更ながらBluetoothスピーカーとSpotifyで、音楽のある生活を楽しんでいます。Youtubeを使えば無料で音楽が聴ける時代ですが、Youtubeでは動画ごとに音量や音質が違うし、オフラインモードで音楽を流したり、他の作業をしながら聞いたり、自分の気に入った曲だけを順番に聞いたりができないんですよね。その点有料ではありますが、音楽配信サービスは、純粋に音楽を聴く楽しみを味わわせてくれます。家でゆっくりしているときに聞くのはもちろん、ジョギングやドライブ中にも存分に楽しめます。

友人が音楽好きで、家に遊びに行くと紹介してくれます。友人の紹介してくれる音楽のセンスがとても好きなので、紹介してもらう曲をちょっとずつ聞いています。最近はHeliosがお気に入り。集中したいとき、落ち着きたいときにピッタリです。


Helios - Bless This Morning Year

「ムーンライト」

 

ムーンライト(吹替版)
 

第89回アカデミー賞作品。同性に心を寄せる黒人の人生という難しいストーリーですが,同性愛者のみならず多くの観客の心を奪ったようです。

この映画では3人のキャストが,少年時代,10代,20代の異なる時代の主人公シャロンを演じます。少年時代~10代の頃のシャロンは,「オカマ」といじめられる華奢で内気な少年でした。しかし物語後半にある事件を境として,ドラッグの売人となり,立派な体躯となります。グッと引き込まれたのは,20代のシャロンを演じる元アスリートのトレバンテ・ローズの,物憂げな瞳。大金と筋骨隆々の身体を手に入れながらも,想いを寄せる幼なじみケビンに見せる表情は,僕の心を強く打ちました。

苦難に満ちたシャロンのストーリーは,重く悲しいですが,同時にとても清らかで美しい。異性愛・同性愛問わず,こんな純粋な愛は現実には存在しません。だからこそ,映画の世界で美しく幻想的に描いてくれたことが,とても嬉しかった。一度ならず二度・三度と観たくなる映画です。

人生の午後

「人生の正午」・・・・・・もう太陽は昇りきり、後は沈んでいくだけ。

人生の午後を迎えるにあたって、自分の人生を振り返りました。子どもの頃から今まで,自分がどんな風に生きてきたのか。そしてどんな自分になったのか。これまで自分が手に入れてきたものを見直してみて、こんなもんか……とちょっとしょんぼりします。若い頃「こうありたい」と思っていた自分と、今の現実の落差はあまりにも大きい。

だけどふとそんな自分にも、両親は一生懸命愛情を注いでくれているんだなあとも思いました。けっして裕福ではないけど、いつも身体や気持ちをいつもいたわってくれました。本当は結婚して家族をもってほしいだろうけど、気遣って何も言わないでいてくれる。家族には本当に恵まれたなぁ…と思っています。

そんな両親に報いることができない自分に対して、これまでいつも自己嫌悪していました。けれど自分の人生を振り返るなかで思いました。ひょっとしたら、違う自分になろうとするんじゃなくて、今の「自分を自分らしく生きること」が最高のお返しなのかもって。

そそっかしい自分。気が弱い自分。怠け者の自分。世の中に貢献できていない自分。容姿も含めて、自分が大嫌いでした。だけど、これからはそんな自分を捨てるのではなく、そのまま受け入れ、自分らしく生きていきたい。そして愛情を注いでくる両親、ときどき会ったりメールで励ましてくれる友人、いままで培ってきた知識やスキル……それらを大切にしながら、生きていきたい。

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見上げたら今日の空はびっくりするほど青くて,雲ひとつなく澄み渡っていました。