カンボジア旅行記 キリング・フィールド

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ワット・トゥメイ(キリング・フィールド)

旅行最終日には,ワット・トゥメイという仏教寺院を訪れました。ここはかつて多くの人々がポル・ポト政権下で虐殺された「キリング・フィールド」でした。

カンボジアでは1975年に,ポル・ポトを指導者とするクメール・ルージュ(赤色クメール)が政権を掌握しました。ポル・ポトは「原始共産主義」を目指す革命を推進します。「全人民が農業を行い,自給自足生活をすれば平等だ」という理想を掲げ,これを実現するために都市の住民を農村へ強制移住させ,私有財産や貨幣を撤廃し,農村での共同生活を強制しました。都市からは住民が消え,プノンペンはゴーストタウンと化したといいます。

体制に逆らった者や逃亡した者は拷問にかけられ,粛清されました。知識人は危険分子とされ,医者や技術者・学者や教師もまとめて殺されました。一説によれば,メガネをかけているとインテリとみなされ,弾圧されたといいます。また,医者がいなくなったことから,知識も技術もない子どもがでたらめな方法で治療したとも言われます。

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集団農業の様子や離散家族を記したパネル

中国の人民公社のように集団農業が基本でしたから,家族も不要とされました。家族は引き離され,子どもは旧世代の思想に染まっていないとして,クメール・ルージュの洗脳教育を受け,兵士や密偵などを務めました。

このようなポル・ポト政権のもとでは,100~200万人が犠牲になり,20世紀を代表するジェノサイドのひとつとなりました。プノンペンにはトゥールスレン収容所(S21)というポル・ポト時代の収容所が,今も残っています(今回は残念ながらプノンペンに行く余裕はありませんでした)。

シェムリアプのワット・トゥメイの地も,かつては刑務所が置かれ,罪なき多くの人が処刑された地でした。ポル・ポト時代の集団農業の様子や離散家族の証言などがパネルで展示されています。敷地の真ん中には,頭蓋骨を積んだ慰霊碑が建てられ,この悲惨な出来事を忘れてはならないと,見る者に警告を与えているかのようでした。

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頭蓋骨が積まれた慰霊碑

1978年に反ポル・ポトに転じたヘン・サムリンベトナムと手を結び,79年にプノンペンを制圧しました。こうしてポル・ポト政権は崩壊しましたが,ポル・ポトはその後も抵抗を続け,内戦は続きました。この内戦のなかで,カンボジア全土に地雷が撒かれ,多くの人が犠牲になりました。地雷撤去は現在も進行中です。