カンボジア旅行記 フランスの支配とカンボジアの歴史遺産

カンボジア1863年にフランスの保護国となり,87年にはベトナムと併せてインドシナ連邦に再編されました。19世紀後半から,フランスの植民地となったわけです。このことについて,プレアヴィヒアとベンメリアを案内してくれたカンボジア人ガイドが,興味深い話をしてくれました。

 

「プレアヴィヒアがカンボジアのものになったのは,フランスのおかげでもあるんだよね」

 

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プレアヴィヒアからの眺め

タイとカンボジアの国境に位置するプレアヴィヒアは,20世紀になるとその帰属をめぐって争われるようになりました。1958年に両国は国交を断絶し,2008年には軍事衝突にまで発展しました。最終的には「プレアヴィヒアはカンボジアの領有とする」という国際司法裁判所の裁定を両国とも受け入れ,現在にいたっています。

このとき決定打となったのは,フランスが作った地図でした。両国は国際司法裁判所に証拠として地図を提出したのですが,タイが自国で作成した地図を提出したのに対し,カンボジアはフランス植民地政庁が作成した地図を提出しました。カンボジアの提出したフランスによる地図の方が,より客観的だとみなされたということでしょう。

 

ベンメリアの発見も,フランス人によるものです。

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木々に覆われるベンメリア

ラピュタを実現したようなベンメリアは,崩壊が激しく「わびさび」を感じさせます。崩壊の一因は,外敵の侵攻やポル・ポト時代の内戦ですが,もうひとつの要因はなんと「ガジュマルの木」なのです。

ベンメリアは「東のアンコールワット」と称されます。言い換えれば,それだけ人々が集まり栄えていたということです。しかしアユタヤ朝(タイ)の侵攻などで,人々はこの地を捨てプノンペンへと移っていきました。15世紀頃には完全に遺棄されたベンメリアは木々に覆われ,木の幹や根がこの寺院を破壊していきました。

この寺院を発見したのは,実にフランスの学者でした。このベンメリアに限らず,アンコール遺跡のいくつかは,フランス領時代に発掘されたのです。

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樹木に破壊されたベンメリアの建物

フランスは歴史遺産の保存のために,カンボジアを支配したわけではないでしょう。そこにあるのは帝国主義的な意図のはずです。統治下の政策で苦しんだ人もいるかもしれない。けれども,結果的にプレアヴィヒアやベンメリアの保存に貢献している……ガイドのあっさりした「フランスのおかげ」という語り口に,何ともいえない歴史の皮肉を感じた旅行でした。