新しい時代

平成が終わり,令和が始まる。

中学校から40歳になるまでが,自分にとっての平成だった。みんな友達だった小学校が終わり,「自分は皆と違う」と気づいた時代。「こんな自分ではダメだ」ともがいた時代。それでも上手くいかず,片思いばかりを繰り返した時代……。国家が仕掛ける紛争はなかったけど,自分の心はいつも平穏ではなかった。

結局きちんとした形での恋人は現れないまま,令和をむかえてしまった。でもおととい,友人が泊まりがけで遊びに来てくれた。その前日は,アプリで出会った人とお茶をした。過去片思いに破れてボロボロだった自分に,今もメールをくれる友人もいる。彼らはたぶん,今の「この自分」を受け容れてくれている。

だから令和の時代は,「自分を変えて別人になる」という生き方から,「そのままの自分で生きる」という生き方にしたいと思う。偶然転勤になって,住まいを変えた。新しい住居を自分らしくカスタマイズして,毎日の暮らしそのものを楽しめるようにしたいと思う。

未完成のパズル

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久々の連休だったので、ドライブに行ってきた。2月とは思えない柔らかな暖かさで、梅の花がきれいに咲いていた。

まわりを見渡すと、カップルや親子連れで溢れかえっている。自分は一人所在なげに、写真を撮り、用事を済ませて帰路につく。仕方ないことだ。途中寄ったイオンモールの喫茶店でPCを広げ、この記事を書いている。

家族は僕が結婚しないことに不満を抱いてはいるが、必要以上に干渉はしない。仕事の責任は重く、休日はつぶれまくる。職員も身勝手。でも今のところ何とかなっているし、お金も困らない程度にはある。メールをすれば返してくれる友人もいる。月1ペースくらいで、酒につきあってくれる友人もいる。決して、大幅に足りないわけではない。

それなのに、いつも心にポッカリと穴が空いている。完成しないパズルのように。

初めてできたこっちの友人、そして夢中になった人とは、旅をした。トラブルもあったけど、楽しさを共有できたという意味では、彼以上の存在はいまだにいない。告白して振られ、そのあと忘れようと何年ももがいたあげく、完全な絶縁をもって終わった仲。

そのあと頑張って色んな人と出会い、今にいたる。ほとんどの縁は切れてしまったけれど、今も繋がっている人たちもいる。それは有り難いことだ。だけどどうしても「あいつの位置」だけ空いている。だからパズルが完成しない。

ピースが「あいつ」である必要はないと思っている。「他の誰か」でもかまわないとも思う。焦っても仕方ないのかもしれない。でも、このパズルが早く完成してほしいと、待ち続けている。

年末年始に考えてみた

2018年は、文字通り忙殺された1年だった。

「忙」は「心を亡くす」と書く。初めてのポジションを与えられたけど、仕事の本質を見失って迷走し、毎日を鬱々と過ごしていた。たまの休日も、アプリやTwitterを開いてばかり。いいなぁと思う人にいいねやメッセージを送ってみても、スルーされてがっかり。そんな日々が大半だった。

去年はカンボジアで優雅に過ごしたけど、今年の年末はどこにも行かず、ひたすら気力の回復を図った。なんかの拍子にschooというオンライン授業サービスを見つけ、仮登録。目にとまった鈴木進介氏の「自分会議」に関する録画授業を見てみた。鈴木氏は言っていた。「他人とのアポは守るのに、自分へのアポはおざなりにしがち。でも自分へのアポも、他人のアポと同じと考えるんです」……この意見にとても共感できた。

1年間、仕事に対する自信を失ったり、プライベートでの人との繋がりをどうしても感じられなかったりして、自分を見失っていたと思う。自分の優先順位を一番下げていた。でもそれでは自分がかわいそう。自分を最優先しなくてもよい。そうではなく、自分と他人を同等と見るのだという視点は、自分の心にスッと入ってきた。いい視点をもらえたと思う。

さっそく年始に自分会議をやってみた。「自分はどうありたいか。理想型を考えるときは、現実的な条件をいったん無視する。まずはどうありたいか、直感に従って素直な気持ちで書いてみる」……現実的な条件に諦めムードから入っていたけど、だまされたと思ってやってみたらビックリ。

「お金は暮らせる程度にあればいい。それより信頼できるパートナーと、支え合いながら明るく暮らして生ければいい」

これが自分の考えていることだったのか……そのくせに職場での周囲の期待に応えようとしたり、キャパ以上の仕事を引き受けようとしていたりした。できない自分を責めて、ストレスをため込み、アプリやTwitterに救いを求めていた。これじゃだめだ。

仕事の仕方、パートナーの求め方。少し軌道修正する必要があると思った。仕事はもう少し負担を減らす。多忙なときにも、「自分へのアポ」も忘れない。結果的に仕事へのストレスを減らすことが、欲求不満解消にも繋がると思う。

パートナーが欲しいんだから、ではどうしたらできるのか考えてみる。外見至上主義がまかりとおる世界だ。年齢も容姿もカーストの下の方にある。インスタ映えする写真をとるほどの楽しみもない。条件は悪い。そのなかで自分にできることは?

自分と向き合う時間をもっと大切にして、ひとつずつ考えていってみたい。

自分の人生を愛する

 自分はずっとクローゼットだったので、若い人たちをうらやましく思う。今も、自分が何者かを明け透けに言うことははばかられるけれど、以前に比べるとずっと周囲の理解は深まった気がする。自分は30代半ばまでずっと、こっちの友達がいなかった。こっちの独特の文化が好きになれなかったし、顔も性格も分からない人に会うのが怖かった。

 30代半ばの頃アプリができて、インターネット上ではやりとりをしていた人と会う機会ができた。初対面から話が弾んだ。生まれたときから苦しんできた、「誰も理解してくれない」という孤独からあいつが救ってくれた気がした。あいつの趣味やセンスが大好きだったし、話も楽しかったから、どんどん好きになっていった。

 でも彼は僕を求めていたわけではなかった。告白した後、あいつはどんどん離れていった。追いかければ追いかけるほど、逃げていった。逃げていくから、自分の心には焦りが募っていった。メールには返信をくれたけど、それでかえって望みがあると勘違いしてしまって、次の返信が素っ気なくなるとまた心の奈落に落とされた。「絶望にもがいている人は叶わない希望にすがり、それを信じる」と誰かが言ったけど、まさにその状況だった。同情や良心の呵責からもらったほんのわずかの善意に、自分は希望を抱いてしまっていた。

 1年前、完全に望みを絶たれた。「もういいかなと思う」…あいつが言った言葉。その言葉を聞いて今まで我慢して心のダムに封印してきた、いろんな思いが決壊してあふれてきた。積もりに積もった恨み言を電話口ではき出した。人生で初めてあんなに激昂した。身体の内側から紡ぎ出される呪詛の言葉を自分で聞きながら、「自分、こんなに他人に怒れたんだな」と別の自分が思っていた。

 それからは連絡もとっていない。もうとるつもりもない。執着していたのは「自分が変われば、仲良くしてくれるんじゃないか」という期待があったからだ。でも完全に嫌われ、関係が修復できる可能性はゼロになった。1ヶ月前、最後の連絡手段も全部絶ち、SNSから電話にいたるまですべて消した。もうあいつがどう暮らしているか知らないし、こっちから発信することもない。

 ただ、そのおかげで今はこの数年で失っていた「自分」を取り戻しつつある。執着していたときは相手に気に入られることに必死で、自分らしさを失っていた。趣味や好きなもの、自分の信念…そうしたものがすべて無意味に思えていた。「あいつに好かれない自分は、無価値だ」それがあのときの自分の思いだった。

 でも「あきらめる」は、「あきらかになる」こと。絶望は「望みが絶たれること」。電車の最終便が行ってしまったら、一瞬「どうしよう」とうろたえるけど、家族・友人に電話してむかえにきてもらうか、タクシーに乗るか、歩いて帰るか。とにかく人は次に進もうとする。それと同じ。

 あのあと、不思議と自分をいたわる愛情が芽生えてきた気がする。休みの日には、誰にも会わず家にこもって、音楽を聴きながらコーヒーを飲み、書類仕事を進めているだけなのだが、自分好みにカスタマイズした部屋ですごすことそのものが、ストレスを遠ざけてくれる。

 あいつとの関係に苦しんでいた数年間、いろいろと見失っていたけど、得たものも多い。一番の収穫は、こっちの友人。再び孤独に追い込まれた自分は、一時期むさぼるようにアプリでの出会いを求めていた時期がある。会ってくれる人がまず少なかったし、その後会った人ともほとんど関係が切れた。でも片手で数えられる数ではあっても、今も交信が続いている友人がいる。彼らからは、何にも代えがたい好意や励ましを得た。彼らなくして、今の自分はないと思う。彼らには、感謝しかない。

 年齢も年齢だし、自分はパートナーができない運命なのかもしれないと思う。でも最近は、それを受け容れられるようになってきた。それが自分の人生なら、その人生をできるだけ愛せるようにするだけ。いいなと思った音楽を愛し、いいなと思ったマグでコーヒーを飲み、たまに友人とお茶やお酒をする。100%満足なんてないけど、50%の「まあいいか」な暮らしを満喫していければいいじゃないかと思う。

汚部屋からの脱出

 先日の記事でも少し触れたが、この夏、自分の生活には大きな変化がおこった。部屋が片付いている状況が維持できている。今までは掃除をしても、気がつくと散らかってしまい、3日ときれいな状態が維持できなかったのに、我ながら不思議だ。汚部屋脱出に何をしたのか、自分を振り返って考えてみた。

 1.きっかけ

 盆に突入しようという頃、自分の仕事も一段落ついたこともあって、デスクまわりを片付けていた。そのとき疑問がわきおこった。自分の前の座席の同僚は、いつも机が片付いている。しかし彼は僕のように片付けに必死になっている様子が、まったくない。僕は片付けるのに多くの時間と労力をかけているのに、なぜ彼の机はいつも片付いているのか。

 考えてみた結果、彼はそもそも「片付けの時間をとる必要がない」のではないか、という結論にいたった。使ったものや出したものを、彼はその都度しまう習慣がついている。だからわざわざ「片付け」を行う必要がない。

 これまでの自分にとって、片付けは「バッチ処理」するものだった。たとえば1日の終わりや週末などに、まとめて片付ける。しかし1日の終わりや週末は、体力的にも精神的にも疲れてしまっているから、結局「明日にしよう」と先延ばししてしまうのだ。たまっている分、心理的・時間的な負担も大きい。こと片付けに関して言えば、一括処理は非効率な方法だと言える。

 その点、その都度片付ける習慣をつければ、最小の労力と時間ですむ。「片付けなきゃ」という精神的ストレスすら生まないだろう。散らかった状況そのものが生まれないのだから。

 2.やったこと

 そこで盆休みを利用して、「出したらしまう」習慣を身につけようと試みた。盆休みは5日。5日間、どんな小さなものも「出したらしまう」を徹底した。洗濯はすぐにたたむ、食器は食べ終わったらすぐに洗う、外出から帰ってきたらバッグの中身を全部だし、バッグを所定の場所にかける。こうした行動を続けて、気がついたことがある。

 片付けが億劫なものと、そうでもないものがあるのだ。たとえば筆記具は、片付けが楽だった。ペン立てがあり、そこに突っ込めば終わりだからだ。しかし靴下や下着はそうではなかった。それまで下着・靴下・ハンカチは、ひとつの収納ボックスで管理していたが、種別になっていないために取り出しにくい状況に置かれていた。これでは「しまっても取り出すのが面倒だから、床に置いておこう」となってしまう。

 わかったのは、「片付けが習慣化できないときは、収納先に問題がある」ということだ。さっそく下着・靴下用の箱を別に買い、収納しやすくした。ストレスなく長く続けるためには、見た目も大事。100円均一のボックスとはいえ、種類をそろえるべく何軒かはしごして箱をそろえた。

 また、そもそも収納する必要すらないものは、思い切って捨てた。本も家電も容赦なく捨てた。今後、服も長く着ていないものは捨てるつもりだ。それからスピーカーはコードレスのものにし、固定電話も外した。ケーブルは部屋をゴチャゴチャとしてしまう要因である。

 3.効果

 仕事が再開して忙しい日々だが、今のところ著しく部屋が汚れることなくすごせている。その理由は、片付いた部屋にいることの効果を実感できているからだと思う。その効果とは「自分の部屋で過ごすことが心地いいと思える」ことだ。

 汚部屋の状態だった頃は、自分の家にいるのが嫌だった。休日は外出して喫茶店で暮らしたり、友人をお茶に引っ張り出そうとしたりした。しかし今は「喫茶店にいかなくても、家でコーヒー淹れればいいか」と思う。自分の部屋が一番落ち着ける空間に変化したのだ。これは大きな効果だったと思う。

 少しだけ自己肯定感も上がった気がする。きれいな部屋を維持できているというのは、自分自身をきちんとコントロールできていること。そしてそれが目に見える形で現れているのだ。「やればできるじゃん」と自分をほめることができるのだ。

 「出したらしまう」を身につけたことで、「急がば回れ」の精神も身につけた。昔より時間に余裕を持って暮らせるようになったと思うし、字も丁寧に書けるようになった。大量の仕事に忙殺されて、以前は字は走り書きだったし、どこにも遅刻ギリギリで到着する有様だった。でも、ほんの数秒の手間をかけて、「出したらしまう」をすれば気持ちよく暮らせるのだから、ほんの数秒の手間をかけて字を書いたり、10分早めに準備を始めれば、目的地に余裕もって着くことができる。

 「出したらしまう」で片付けの習慣が身についてよかったと思う。まだまだ仕事が忙しくなるけれど、「急がば回れ」の効果を忘れずにすごしていきたいと思う。